伝統へのチャレンジ
 久しぶりに着物を着てみました。
…結納の振り袖以来!

持ってきてあるのは色無地とお正月用のウールの着物。
色無地は母と京都まで誂えに行ったもので、
ウールの着物は伯母が私の成人のお祝いに
従姉妹達とお揃いで誂えてくれたもの。
(イトコ十数人中、女は3人だけなのだ!)
自慢じゃないがひとりで着物を着た事どころか、
畳んだ事すら無い(笑)。
着付けてくれる美容院はあるものの、ちょっと遠い。

さすがに色無地を自分で着るのは不安だったので、
ウールの着物にしておいた。
こちらへ来る前にアマゾンのレビューで高評価だった本を買ったが
読んでもよくわからなかった。
が、実際着てみたらとても簡単でよくわかった。
やってみるもんだ。(この先生の方法がものすごく合理的でお上手)
仲間内のパーティに着ていったが
みんな初めて本物の着物を見たようで、とても感激してくれた。
日本にいると特に銀座とか歌舞伎座辺りは「着物甲子園」なので(笑)
いろいろとチェックも厳しいのだが
こっちではチェックのできない人の方が多いので気も楽である。
しかしここだけの話、着物を着て一番良かったのは、
日本人でちょっと面倒臭い人を
吹っ飛ばす威力があるとわかったことだろうか(笑)。
こちらでもお茶やお花の経験者は結構多いのだが、
私の世代で着付けが出来る人にはまだ会ってない。
着物も、持っていたとしても浴衣までだ。
(人前で浴衣を着ていいのは子どもか
ホームステイの10代までではと、個人的には思うのだが。)
両親、特に父は必ずお正月に着物を着るが
私はキツいし面倒臭いし、小学生以来パスして来た。
でも自分で着られると加減が出来るし、
万が一着崩れて来ても自分で直せるので安心だ。
これからはまたお正月に着物を着ようかと思っている。


うちの親は学校の勉強よりもお茶とかお花とか論語とか、
教養をつけさせたい思っていた人で、
私も子どもの頃はそれが大切で必要なことだとは
何となくわかっていたものの、どうしても嫌でやらなかったのだけど、
この年齢になってきてどれだけ人生に重要であるか年々わかってきた。
いや、教養なんて無くても生きていけるのだけど、
人から嫌悪感なく受け入れられ、同時にある程度の防御になるのは
教養なんだよね。ケンカにならないというか。
年齢が上がるにつれ、そういうことが大切になってきていることが
わかってきた。

例えば私が「東大卒です」と言ったら東大に入れなかった人とか
特に男の人からあまり歓迎されないだろう。
というのは、勉強は競争だからどこかに敗者がいる。
自分がそのつもりがなくても勝手にスイッチ入れて
怒りはじめる人もいる。
でもお花やってます、お茶やってます、と言うと特に男性は
「ほほうー」とか言って快く受け入れてくれる(笑)。
お茶やらお花をやっていると言うと男女問わず、
大抵相手の態度が変わるのだ。
習ってきたピアノやトランペット、バイオリンの経験よりも
何かの大会で入賞、優勝した経験よりも
一番相手の態度が変わるのは和のお稽古事である。
お稽古をしている同志だとわかると、仲良くなるのは実に簡単だ。

元々は男の趣味なのでやってみればどれだけ合理的か、
メンタルトレーニングであるのかがかわかる。
西洋は自然を排除する文化だが、日本は共生する文化である。
と、長々と座学で勉強しなくても
お稽古事をやっていれば日本の文化伝統について自然と説明ができる。
父からは子どもの頃より「真の国際人たれ」と言われて来たが
これは良く言われる、語学が堪能なのが国際人なのではなく、
自国の文化伝統、社会を理解し表現できる人材こそが
国際人だという意味である。こう書くと日本人の場合、
「あなたはそれを語れるだけの一流のレベルにあるのか」
と問うのだけれど、私はこれで食べている訳ではないので
国際人=専門家である必要はない。
一般人として一般人に伝えられて当然であろうレベルに
到達したいだけだ。

今回の帯同赴任にあたり、図らずも父の思いを叶える事になったのは
何もしてこなかった私の、
たったひとつの親孝行になるであろうと確信している。







posted by: millegru | millegru watch ! | 13:09 | - | - |-